キャリアについて

先日上司と雑談していたとき、ユーザーの要求を聴いてそれを要件にしたり、改善提案ができるスタッフが少なくて、なんでだろう?
みたいな話になりました。

手前味噌ですが、私はそれができる側としてのレベルの話です。
企画力のセンスだけでなくて、そもそも仕事のやり方を変えるという提案が出せる部員が少ないという点について。
中々そういうスタッフが育たなくてどうしてだろうみたいな話をしてた時にふと閃いた。
 
この記事です。
 

SEの理想的なキャリアの積み方

このTさんって私の事らしいです。
 
現場経験のあるエンジニアはコンピュータを使った業務改善の提案ができるスキルがある。
これは上司も納得してました。思わず片貝さんスゲーって思いました。



ここで改めて私のキャリアでも。書かれていることが若干違ったので(笑)

パソコンとの付き合いは中学2年の夏休みから。当時発売されたばかりの NEC PC-8001とSHARP MZ-80Kってやつ。
その後高校の事務局で富士通 FM-11で給与計算ソフト作ったり、専門学校は2年の夏休みで課題全部終わらせて、プログラム作成のアルバイトをやったりしてました。


専門学校の2年後半から、学校の友人とシステム会社を作るつもりでした。株式会社の最低資本金が1000万になるというので、有限会社にするかとか色々考えてましたが、最終的に当時慕っていた学校の先生が独立して会社を作り、私たちはそこに雇用される形となりました。
社長以下、正社員3人の会社(途中2名増えて6名に)でシステムの受託開発やってました。1人はあるプロジェクトで九州へ。プログラムの製造は私1人でって感じでした。この時は主にBASICですね。Cは個人レベルで学習中って感じ。
私は会社で寝泊りして連日朝まで仕事してて、眠くなるから錠剤の『カーフェソフト』をカフェインのドリンク剤で飲んで、口直しにブラックコーヒーを飲むという無茶を3ヶ月ほどやってました。もちろん残業代はなし。
今でいうブラックな状態で、給与遅配が連続したため退職。まあこんな生活は嫌だなという気持ちだけが残りました。

その後は、大阪の不動産会社で拾ってもらいました。
専門学校の元先生(=元社長)の親友の方が私たちの状況を理解してくれて、その方が勤務されている学校の本体の会社でコンピュータのわかる人を募集しているってことで、紹介してもらいました。

所属は本社経理課コンピュータ担当 という職。
事務所に行くとMELCOM(オフコン)があったけど、1ヶ月前に裁判して、システム未稼働で返却となったらしい。入社して半月後にはなくなってた。そして、私の仕事は・・・なくなった。

で、パソコンなら色々できますよって、当時の副社長代理(私の別ラインの上司)に、不動産物件検索システムってあったら便利じゃないですかってPRして企画書書いて、生まれて初めて稟議書書いた。そして通った。
ちょうど、不動産転売の営業の人とも仲良くなり、建築シミュレーションのソフトとかを導入して評価してもらった。
そのおかげで、不動産の法律とか、建築基準法とか理解した。これは後になって、宅建主任資格取るときに役になったな。

不動産物件検索システムは今はどこでも当たり前になってますが、当時は殆どなかったし、パソコンのソフトで200万とか普通。
丁度REINS(レインズ)って不動産の流通のコンピュータ化が決まりだしたときだったので、これに準拠して、間取り図つきで物件検索できるようなシステムを作ってました。

また、グループ会社でホテルを2棟所有しており、そこの1つのホテルシステムを某ソフト会社が作ってましたが、個人経営のためサポートが曖昧で、頻繁にシステムが止まってしまうので、プログラムの改修や機能強化も私の仕事になってました。ソフトは忘れましたが、何とかってdBASEライクな4GL言語でした。

そこでの実績を買われて、もう1件のビジネスホテルのほうは私が支配人から仕様を聞きながらシステム組むことになり、その支配人が転職するので、私も引き抜かれて今の会社へ。結果的に3つの会社をわたりましたが、就職活動は一度もしませんでした。


さて、ここでコンピュータどっぷりな生活からは離れます。
今の会社に入社して、最初の所属はリゾートホテルのフロントスタッフ。フロントカウンターに立って、接客業をしてました。過去の友人などと昔話に花を咲かせますが、私が接客業wwwwアリエネーって感じ。

ホテルでシステム開発をやってた関係で、ホテルの仕事は大体把握してました。なのでほぼ即戦力でした。
フロント未経験な私が即戦力とか正直どうなの?とか思いましたが、私の順応性ってことでしょうか。

そして1回目の転機はその冬に来ます。
当時は軽井沢のホテルにいた訳ですが、冬の間はお客様も激減するので、新潟の赤倉温泉にあるホテルも面倒見ることになっていました。
私は1年目は2月15日の後半から勤務。元々2週間単位で交代だったのですが、私はそのまま春まで通しになりました。
赤倉のホテルは50室程度の小さなホテル。正社員は7名程と、後はアルバイトが10名程度。
元々私は管理業務要員(経理、購買)兼フロントで行ったので、フロント以外にホテルの経理とか購買も経験することに。

もちろん、アルバイトが少ないときはレストランのお手伝いとかも、料理作る以外の殆どを経験することができました。
当時の赤倉のホテル支配人は、私を推薦してくれた方でしたので、支配人の管理業務なんかも実際にやってたりで、このころは将来ホテル経営をしたいなと本気で思ってました。

このホテルの経験でホテル業務の一連の流れが完全に理解できているという今の自信になっています。
当時、仕事しながらこれコンピュータでやれば無茶苦茶便利なのにとか、色々考えが浮かんでました。

最終的に赤倉へは3年半行ってました。以前は赤字ホテルだったのですが、私たちが運営することになって、初年度黒字化、2年目でかなりの利益を上げるまでにできたのは自信になっています。

長くなりそうなので、つぎへ。