キャリアについて その2

前回は夏は軽井沢、冬は赤倉な生活なホテルマン生活でしたという所まででしたが。

正直、赤倉は充実してましたが、軽井沢はぬる過ぎて1度転職も考えました。
でも赤倉の時期が近づくと、急にモチベーションが上がって、『今年は利益を前年の2倍にしてやろう』とかやってました。
書いていいのか微妙ですが、万年赤字ホテルが、受け持って1年目に数百間利益出して、2年目、3年目と倍々以上と利益上げていき、優良施設へと上がってました。変な自信も持ってましたね(笑)

残念ながらその後10年で、スキー人口の低下と施設の老朽化で赤字転落して閉館しましたが。

軽井沢で3年過ごし、その後、山梨の新規開業のホテルへ転勤。このときは、軽井沢の総支配人(後の山梨の総支配人)に目を掛けて頂いての転勤となりました。
総支配人の元で人件費の管理とか、売り上げ分析をしたり予算書作ったり、予実管理やったりとホテルの経営を勉強させていただきました。


2回目の転機はこの山梨のホテルの開業1ヶ月前。
ホテルのシステムはNECのオフコン&COBOLでした。開業が迫っている中、SEさんが朝から晩まで詰めてデバッグらしきことをやってました。
ところがいつまで経っても、システムが稼動する雰囲気がない。予約やフロントのマネージャーからシステムどうなってるの?と私に聞いて来てる状態でしたので、SEさん捕まえて状況把握。
なんと、開業1ヶ月前でシステムの完成率60%www
絶対間に合わないよこれ。
それが判って、速攻で総支配人の所にいって、『これ全然間に合いません。私が入って対応していいですか』と直談判。
実は総支配人からは、お前はコンピュータとかフロントとか出来るけど、こっちの方が重要だから、手伝ったらダメと釘を刺されてました。でもそうは言ってられない。
で、私も参戦。実は同時に2つほホテルが開業するからと、プログラム改修は事務所で改修してて、現場のSEさんはプログラム入れ替え&動作確認程度の要員でした。
とりあえず、私が参入して、各帳票や画面の値が全部違うので、その原因調査とか、結果をSEさん通じて、プログラム修正の指示とか、厄介なのは、現場で修正もしたった。それだけヤバカッタです。
現場のマネージャーと最優先の帳票とか確認して、とりあえず開業日には、最低限の対応は間にあわせた。もちろん、未完成のものはたくさんありましたので、全部が完了したのは9月末ごろだったかな。

その間、本来の帳票がおかしいので、必要な帳票を私がCOBOLで書いてた。専門学校で習った知識が唯一役に立った!
まあ、学校で習ったのは基本中の基本で、実態はソース見て書き方覚えた。専門学校で構造化COBOLなんてやらなかったよ。
最終的に納品された帳票より、私が作った帳票のほうが使われてた。
当時は全然と思ったけど、今振り返ると、自分って我ながら凄いやつだなと思う。
その時の出来事を今の上司が見てて、出来る奴がいるなあと思ってたそうです(嘘かホントかはわかりませんが)そのときに今の上司に私のことを覚えてもらった出来事でした。

ホテルでは最終的には、2年間で仕事の合間に、現場の人に役に立つ道具をこっそり作って使ってもらってました。COBOLで300本ぐらいあったと思います。
ある意味、情報システムから見ると厄介な奴でしたね。いま、逆の立場でやられると、誰でもオイオイって思いますよね。

そして3度目の転機。
ホテルの現場で仕事させてもらって5年目。軽井沢のGMだった人が本部のえらい人になってて、とあるプロジェクトが立ち上がるから、そろそろ名古屋に帰ってこいやって言われて本部の人に。

ホテル開業時のコンピュータ導入のサポートとか、あるプロジェクトのメンバーとして参画することが決まっていたんですが、同じタイミングで経理システムを刷新するために業務改善プロジェクトと言うものが立ち上がり、プロジェクトリーダーの経理課長が私を見つけて、そっちのプロジェクトの選任メンバーになってました。
異動して、歓迎会をしてもらう日に、プロジェクトメンバーとして辞令がでたという。

そして業務改善プロジェクトで2年間過ごすことになります。
コンサルタントを呼んで、業務分析やシステム化のやり方をはじめてちゃんと教わった。
オフコンの基幹システムをPCネットワークで実現するのが1つでしたので、久々のPCスキルの活躍だった。
当時はNetwareでした。個人的にはDatabase案を押したけど、あえなく却下された。
でも、ホテルの業務でやってきた、部分的な経理の業務が、プロジェクトのお陰で全体が理解できたり、周辺の基幹業務が理解できたりで、実は凄い経験ができたってことが後で気づいた。

業務改善プロジェクトをやっている間に、私としては現場で色々と不便だなと思ったり、改善すればいいのになってことを実現できたりして、その仕組みは今も残ってますのでプロジェクト自体は非常に満足できたかな。
システムは色々トラぶったけど・・・

また、同じタイミングで元々呼ばれたプロジェクトも緩く参加させてもらっていて、丁度ホテルシステムをオープン系で構築する話があったので、平行して参加してました。
初めてちゃんとしたプロジェクトで、ユーザー部門として参加させてもらいました。仕様の詰めていきかた、プロジェクトの管理なんかを見て体験できたので、いい経験をさせてもらえました。
こっちもホテルの開業にバタバタで(レスポンスが出ずに)現場の人にはかなり迷惑をかけて、お詫び要員ぽかったな。
お陰でいろんなスキルが身についたけど。

と、システムには時々首を突っ込むけど、あくまでユーザー部門の所属でしたので、ユーザー部門の立場としてしてやってきてました。

そして4回目の転機は、業務改善プロジェクトが新経理システムのリリースを迎えて、解散が近づいたころにやってきました。

ソフトウェアハウス (半年)
    ↓
中小企業のOA担当者(2年)
    ↓
ホテルのフロントマン(5年)
    ↓
ホテル運営の本部スタッフ 兼  (2年)
経理システム再構築のプロジェクトメンバー
    ↓
そして現職に着くこととなりました。

実はシステムべったりなことは最初のシステム会社だけだという・・・

次へ続く(まだ続くのか・・・もう少しお付き合いください)